九州の食探求メディアKyushu Food Discovery Media

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SPECIAL CONTENTS

「九州の食ふしぎ探検記」

九州の食にまつわる驚きや発見を深掘り

特集テーマ

秘境・椎葉の謎料理「ひえずーしー」を徹底解明せよ!

EPISODE 3


山の主と平家の屋敷を突撃!椎葉に色濃く残る驚きの食文化

素手を巣箱に入れても刺されない
ミツバチが飛び交う山の主を訪ねる

『龍神館』の椎葉喜久子さんはこうも話していた。

喜久子「うちの巣箱にはミツバチが入らない。人には性分があるというけれど、どうやらうちはミツバチが苦手とする“火の性(しょう)”みたい。反対に、ミツバチに好かれる性分の人もおるとよ。」

喜久子さんの紹介で、私たちは同じ下福良(しもふくら)地区の山奥で暮らす那須久喜さんの元を訪ねた。

喜久子「巣箱に素手を突っ込んでも刺されんとやから、不思議よ。」

喜久子さんの話の通り、久喜さんのまわりには、ミツバチがブンブンと大量に飛び交っている。
たじろぐ私たちに、久喜さんは「じっとしておけばミツバチは何もせんよぉ」と、おっとりとした口調で言う。

希少価値の高いニホンミツバチの蜜
半分はミツバチのために残しておく

久喜さんは120年続く養蜂家の3代目。自宅のある山で全国的にも珍しいニホンミツバチを飼育している。

採蜜量の少ないニホンミツバチの蜂蜜は希少価値が高い。中でも久喜さんの蜂蜜は村の人たちが「一番おいしい」と太鼓判を押す逸品。皇室の方々が召し上がられたこともあるようだ。

久喜さんの案内で自宅の裏山を歩く。「これ、それ、あれも」と指す先には長さ80cmほどの丸太が立てて置かれている。

村では丸太の内側をくり抜いて作る巣箱を「ウト(またはブンコウ、ブンコ)」と呼ぶ。その中に自然にニホンミツバチが棲みつくのを待ち、年に一度、秋口に蜜を採る。

久喜「人間はウトを見回って、スズメバチやタヌキから守ってやらんといかん。蜜をもらうよとミツバチに言うてから手を入れれば、ミツバチもちゃんと分かって刺したりはせん。」

あいにく私たちが訪ねた10月は採蜜が終了したタイミングだったため、ウトをあける様子は見られなかった。未練がましくミツバチを眺めていると、私たちの心を見透かしたように久喜さんは言った。

久喜「今年の分の蜜はもう分けてもらったとよ。半分はミツバチに残しておかんと、冬に食べるものがなくなって死なせたらかわいそうじゃろ。また来年見に来ればいい。」

久喜さんの言う通り、自然のリズムに従って採蜜の様子はまた次回見学させてもらうことにしよう。

築300年の屋敷で味わう地元の料理
天然の食材をふんだんに使った
“郷膳(きょうぜん)”

椎葉村の食を巡る、次の目的地は『鶴富屋敷』。役場や観光協会の建物が並ぶ『つるとみ通り』から少し上った小高い丘にある。

屋敷の名前は、鎌倉時代初期の源氏の武将・那須大八郎と恋に落ちた平家の落人・鶴富姫ゆかりの地であることに由来する。築300年といわれるこの建物は昭和31年には国の重要文化財に指定された。

『鶴富屋敷』の女将・那須弘子さんは、椎葉村の料理上手の一人。屋敷では弘子さんが手作りする「鶴富郷膳(きょうぜん)」を食べることができると聞いて、事前に予約しておいたのだ。

菜豆腐にしそ豆腐、煮しめ、こさん竹のキムチ風、川海苔の天ぷら…。村の食材だけで作った料理を竹製の膳に盛っているから“郷膳”というわけだ。伝統的な郷土料理だけでなく、現代の人の口に合うようにと弘子さんがアレンジした料理も並び、食べ応え十分。どれも素材の持ち味や食感を生かして調理されており、箸が進むし、焼酎が恋しくなる。

弘子「天然のものを使った料理は年々難しくなっていて、その川海苔もやっと手に入れたもの。何年も続いている水害の復旧工事で川の岩が動くからなかなか育たない。今生えているものがなくなったら、数年間は食べられなくなります。」

ゆっくりと変わる山の食事情
幻の料理・ひえずーしーとは?

弘子さんが生まれた昭和30年当時に比べると、山奥の村の食事情はゆっくりと、しかし確実に変化してきたという。

弘子「私が子どもの頃、海の魚はとっても貴重でした。村で食べられる海の魚といえば塩サバ、塩イワシ、塩クジラ。塩漬けにしたものが日向(ひゅうが)市から自転車で運ばれてきていました。」

日向市から椎葉村までは車で1時間以上。それを自転車で、しかもこの山道を登って運んでいたなんて信じられない。

弘子「昔はシカもイノシシもこんなに多くなかった。今じゃ夜になるとカッポカッポと足音が聞こえるほど増えている。そこで屋敷でも予約があればイノシシ料理を出すようになりました。」

弘子「蜂蜜は今や一升で約3万円するけど、昔は各家庭でブンコを持っていたから贅沢に使っていましたよ。ゆでた里芋に蜂蜜をたっぷりかけておやつにしていたくらい。こんにゃくや豆腐もみんな家で作っていたし、ヒエガユも珍しいものではなかった。」

編集部「…ヒエガユって何ですか?」

弘子「稗(ひえ)で作る粥のことで、『ひえずーしー』と言ったりもするね。ずーしーは雑炊という意味。平地の少ない椎葉村は稲作が困難だから、焼畑で稗を育てて食べていました。稗は精白するのが大変だから多く使わずに済むように、粥にすることでカサを増やして食べていたんじゃないでしょうか。」

弘子「嫁いだ直後に義理の母親が作ってくれたひえずーしーは、イノシシの骨で取っただしを吸った香ばしい稗が何ともいえないおいしさでした。今、100歳近い義母は台所に立つことがなくなったから、もう食べられない味。それに、焼畑をしなくなったから稗がとても貴重になり、家庭で簡単に作って食べられない。幻の料理と言う人もいますよ。」

焼畑の稗、そしてイノシシ。気になっていた2つのキーワードがここで繋がった。椎葉村には狩猟と採取の食文化が色濃く残っているのだ。

ひえずーしー、ぜひ食べてみたい! でも、その前に狩猟についても調べた方が良さそうだ。

弘子「それなら尾前一日出さんを訪ねるといいでしょう。古来の狩猟儀礼を守り、実践している猟師です。ほら、ちょうど窓の外を歩いていますよ」

振り返ると、帽子を目深に被り、白い髭をたくわえた男性の横顔が見えた。