EPISODE 6
ついに辿り着いた幻の栄養食、郷土料理「ひえずーしー」
時間はかかるけれど作り方は簡単
幻の料理とされるのは稗が理由?
翌朝、私たちは太田先生と「焼畑粒々飯々(やきはたつぶつぶまんま)体験場」へ向かう。椎葉村の秋の朝は空気が冷たく、山風が吹くたびに身が縮まる。

この体験場は、勝さんが代表を務める地域おこし団体「焼畑蕎麦苦楽部(やきはたそばくらぶ)」の共同施設だ。普段は焼畑で育ったそばを使った蕎麦打ちやこんにゃく作りなどの体験を受け入れているこの場所で、ミチヨさんがひえずーしー作りの準備をしてくれている。

ミチヨさんは直径60cmはありそうな大きな鍋を抱え、「稗(ひえ)と米、村の猟師が獲ってくれたシシ肉、あとは煮込み用の水を用意しました。調味料は塩だけ。たくさん仕込んだ方がおいしくできます。」と教えてくれた。
細かく切ったイノシシの肉を鍋で炒めると、肉から脂が出てじわりと広がり、甘い香りが立ち上る。
ミチヨ「油はひかず、シシ肉から出る脂で肉を炒めます。」

ミチヨ「椎葉村のシシ肉はおいしいとよく言われます。野生肉が苦手という人でも、これなら平気みたい。」
太田「野生肉の味は餌場の植生や、季節、運動量によって左右されますから、椎葉村のイノシシは生育環境がいいんでしょうね。やあ、おいしそうな匂いだ。」
肉にこんがりと焼き色が付いたら、浸水させておいた稗と米を入れる。材料の比率に明確な決まりはなく、今回は稗500g、米75g、シシ肉200gで作る。これでだいたい10人分。


ミチヨ「ひたひたになるまで水を注いで、時々かき混ぜながら煮ます。昔は村のどこの家でも作っていた料理ですが、焼畑をする人が減って稗が手に入りにくくなり、作られなくなった。だから幻と言われるのかもしれませんね。」
稗とイノシシ肉がやわらかくなるのは煮込み始めて1~2時間後だという。
ついて、ふるって、またついて…
稗つきは労働歌が生まれるほどの作業量
鍋からグツグツと音がする。イノシシ肉の香りに混じって、ナッツのような香ばしさも漂ってきた。


勝「焼畑の稗は香りが特徴なんですよ。椎葉村では釜で炒ってつくから香ばしいんです。」
太田「岩手では蒸した後、乾燥させて精白しますよね。こちらでは炒ってから精白するとは知りませんでした。」

勝さんによると、稗を食べられる状態にするには、多くの手間を要する。
まず、収穫した稗の穂を木づちで叩いて実(種子)を落とす。この作業を「あやす」という。稗の実は直径1mm以下と極小のため、目の細かい専用のふるいにかけてごみを取り除く。

釜で炒って乾燥させ、石臼でひいて籾(もみ)を破り、またふるう。この時点で、米でいう玄米の状態になっている。さらに踏み臼でついて、ふるって、またついて…。稗は3枚皮があるので何度もついて精白する。一連の作業を稗つきと呼び、昔は雪で畑仕事ができない冬の仕事だった。


勝「家族で土間に集まり、2~3か月かけてコツコツと一年分をついていました。気が遠くなるほど手間がかかるから、稗つき節という民謡を労働歌として口ずさみながら作業していました。蒸せばつきやすくなるらしいが、そうすると香ばしさが出ないもんだから、わざわざ炒っています。」

勝「精白すると、籾の状態で10kgあったものが2kgにまで減る。手間がかかるわりに得られる食料が少ないから、わざわざ栽培したがる人はおらんですよ。しかし、稗はものすごくエネルギーとパワーのある穀物です。」
稗は籾の状態で半世紀保存しても発芽能力が失われないと勝さんは言う。
勝「焼畑で育つほかの作物も力強さがある。例えばそばは、他のそばと比べて香りと味が濃くて、粘りが強い。わしの両親が長生きしたのも生命力のあるものを食べていたからかもしれんなあ。」


太田「やはり、焼畑の作物や山野草を中心とした低カロリーの食事と、山や畑での仕事による十分な運動が、健康長寿の鍵となっているのでしょう。」
いつの間に外に出ていたのだろうか。ミチヨさんがザルいっぱいの山野草を抱えて戻ってきた。


ミチヨ「お昼がひえずーしーだけじゃ寂しいじゃろうと思って。いろいろ摘んできましたから、炒めておかずにしましょう。そろそろ鍋もいい頃です。」
とろんと胃に落ちじわっと旨い
味の決め手は焼畑で育った稗
鍋の蓋を開けてみると、さらさらとしていた煮汁はポタージュのようにとろみがかっていた。米が溶けて煮汁と一体化したためのようだ。

ミチヨ「味付けは塩だけ。理由は分からないけれど、醤油を入れるとおいしくないんです。」
椀に注ぎ分け、仕上げに刻んだ小ネギをのせればでき上がり。ひえずーしー、いよいよいただきます!

たっぷりと水分を吸った稗は噛む必要がないほどやわらかく、とろんと胃に落ちる。口の中にはじんわりとイノシシ肉のコクのある旨みが広がり、鼻から稗の香ばしさがふわっと抜けていく。インパクトのある味ではないが、五臓六腑に染み入るような旨さだ。次のひと口が恋しくなって夢中でかきこんでしまう。
太田「脂身付きのイノシシ肉は、豚肉に比べてビタミンB12が2.5倍、ビオチンが約2倍、鉄が2.5倍も含まれています。また、動物性たんぱく質と植物性たんぱく質の摂取は1:1、すなわち同程度の摂取が理想的とされています。ひえずーしーは、現代人にふさわしい栄養食ですね。」

太田「それから、稗とイノシシの肉を同時に摂取すると味の面でもメリットがあります。良質な脂は料理をおいしくしてくれますから。」
勝「焼畑の稗でないとこの味は出ない。シシ肉が手に入らない時には母親がかぼちゃや芋、大根葉を入れたずーしーを作っていました。しかし、やっぱりシシ肉入りがうまいですねぇ。」
すべては「後から来る者のために」
山に生き、生命の循環を守る
ミチヨさんがおかずにと用意してくれた山野草の炒め物は、一口目で強い苦味に驚いた。ところが、噛むうちに旨みや酸味など様々な味が感じられて、これがなかなかクセになる。

勝「昔は自然に生えてくるものを食べるのが当たり前だった。椎葉村では今もその生き方が残っています。」

勝「ここには豊かな自然、神々とともにある暮らし、地に足のついた食生活がある。だけど、これらを守り、持続することは簡単なことではありません。焼畑も、先祖たちが守ってきたものだから絶やすわけにはいかないという強い決意がなければ、持続するのは難しいのが現実です。」


勝さんは、4年目の焼畑で大豆を収穫した後、栗や桜、カエデといった実のなる広葉樹を植える。そうすると、イノシシやシカは木の実を食料に山で生きることができ、人里に下りなくてもよくなる。草木が茂る山で蓄えられた水は養分を多く含んで川に流れ、豊かな海を育てる。
「焼畑蕎麦苦楽部」では焼畑の持続費用を捻出するため、雑穀の焼き菓子を製造・販売しているほか、ひえずーしーを真空パックにする商品化にも取り組んでいるという。
勝「決意の源は、“後から来る者のため”という思いが大きいですね。焼畑を守れば、生命の循環を守ることができる。すべては未来を生きるかわいい子どもたちのためです。」

謎料理だった秘境・椎葉のひえずーしー。それは、縄文時代から連綿と受け継がれてきた焼畑の恵みと、山で暮らす人たちの知恵と工夫が詰まった、生命の循環を考えさせられる味だった。