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「九州の食ふしぎ探検記」

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「国境の島」壱岐で歴史と風土が育んだ“幻の食”を追え!

EPISODE 2


壱岐の海女は“レオタード”を着る!?極上の“うに”は幻の食?

“うに”の漁期はわずか1か月
その一瞬の旬に島が湧き立つ

2025年5月1日。朝7時。

夜明けとともに、私たちは壱岐の東海岸に突き出た八幡半島の先端部分、八幡浦(やはたうら)を目指した。水平線から放たれる銀色の神々しい光に照らされながら、海の中から島が徐々に浮かび上がってくる。

この日は、うに漁の解禁日。

壱岐において、うに漁(ムラサキウニ)が認められているのは5月。解禁直後のうには、産卵前ということもあって色も美しく、身がふっくらしていて甘さも抜群。だが、5月も後半になると、殻の中で身が柔らかくなり溶けはじめるという。特においしく、姿形がいい時期は、まさに一瞬なのだ。その間、島は“うに”に湧き立つ。

その極上のうにを求めて、島内に300人ほどいるという海女(あま)・海士(あま)たちが一斉に海に入ると聞いていた。しかし、磯場に出てみても、潜る人の姿はない。

この海女と海士。いずれも「あま」と呼ぶが、前者は女性、後者は男性を指す(分かりやすく区別するために海士を「かいし」と発音することもある)。一般的に「あま」と聞くと女性をイメージする人が多いだろう。実際、その割合は圧倒的に女性が多い。
 
壱岐でも八幡浦だけで60名ほどの海女がいるといわれる。一方で、八幡浦の反対側、島の西岸に位置する小崎浦(こざきうら)を中心とした地域には、男性の海士も多く存在しているそうだ。それに、それぞれ八幡浦と小崎浦で、潜る場所や深さ、格好などに違いが見られるのも面白い。
 
また、うに漁は潜水具をつけない「素潜り」で行われるのが一般的だ。そのなかでも船から潜る「船磯(ふないそ)」と、海岸線沿いの岩場から潜る「陸磯(おかいそ)」の2種類がある。この日、私たちが探していたのは「陸磯」の漁をする人たち。

特に陸からアプローチする「陸磯」の場合は、潮の干満が重要だ。潮干狩りの理屈と一緒で、干潮時は普段現れない岩場などが露出し、うにが獲れやすくなる。潜るというより、拾うように漁をすることもあるのだ。

少し先走りすぎたか。早朝でまだ潮が引ききれていない。風や波の影響もあったのだろう。午前8時過ぎになると、ようやく八幡浦の海岸線沿いに、大きなカゴを乗せた軽トラックが続々と集まり始めた。
 
いよいよ、2025年のうに漁のスタートだ。

2000年前から変わらぬ素潜り漁
豊臣秀吉が授けた特権とは

素潜り漁は、壱岐では太古の昔から行われていた。その歴史は2000年前、あるいはそれ以前にまで遡るという。壱岐における素潜り漁の歴史について、「壱岐市立一支国(いきこく)博物館」の副館長である河合恭典(かわい きょうすけ)さんはこう語る。

河合「弥生時代の遺跡からは、鯨の骨で作られた、岩からアワビを剥がす道具であるアワビおこしなども出土していますが、実際にはもっと昔から素潜り漁は行われていたと思われます。魏志倭人伝にも、素潜り漁に関する記述が出てきます」
 
また、歴史的なエピソードとして、もう一つ面白い話を教えてくれた。
 
河合「16世紀に豊臣秀吉が朝鮮出兵を行った際、朝鮮への水先案内人を務めた漁師に対して、その功績を称え壱岐全域における素潜り漁の権利を特別に与えたそうです」
 
その権利は漁業権として形を変えながらも現在にまで継承されているという。

その水先案内人だった漁師たちの拠点となったのが、島の西岸に位置する小崎浦という地域だ。ここでは海士、つまり男性が潜って漁をする。
 
今も現役で海士をしている、立石徹舟(たていし てっしゅう)さんを訪ねた。

立石さんはチームを組んで船で出漁し、ウェットスーツに足ひれ、ゴーグルをつけたスタイルで、30kg程のおもりを抱いて海底に急降下する。ウェットスーツを着用するようになったのは昭和の後半のことで、昭和30年代までは、褌(ふんどし)ひとつで潜る裸漁が行われていたという。

立石「浅いところで5~6m、深いところだと15mくらい潜ることもあります。潜る時間は1回あたり1分半から2分くらい。これを多い時は1日に200回近く繰り返します」
 
…。想像を絶する過酷な漁である。急激な水圧の変化で潜水病を患う人も少なくないという。しかし、「頑張った分だけ結果が出るから面白い」と、立石さんの表情には一点の陰りもない。

ただ、壱岐の漁獲量の減少は深刻だ。うにも例外ではない。壱岐の名物で、“幻のうに”とも称されていたアカウニは、今ではほとんど獲れず、本当の幻になりつつある。今は、かろうじてムラサキウニが壱岐のうに文化を継承している。
 
一番の原因は、地球温暖化での海水温の上昇により、うにのエサとなる海藻・カジメが激減したこと。壱岐のうにを存続させようと、藻場の復活に向けた取り組みもすでに始まっている。

八幡浦の海女はレオタードで潜る!?
壱岐のうにを守る姿

壱岐において海女といえば、八幡浦の海女である。そのルーツは、壱岐に住み着いた伊勢・志摩の海女だとも伝わる。かつて海女は出稼ぎを盛んに行っており、国内のみならず韓国・済州(チェジュ)島との行き来もあったようだ。ちなみに、女性が素潜り漁を行っているのは、世界を見渡しても日本と韓国のみだと言われている。

5月26日、八幡浦の海女である酒井よし子さんの漁に同行させてもらった。この日は、年に一度、禁漁とされているエリアに潜ることが許可される特別な日だ。
 
よし子さんはご主人と一緒に船で出漁する。いわゆる「船磯」である。八幡浦漁港からほど近い場所にご主人が錨(いかり)を入れると、よし子さんが船上で着替え始めた。何枚かを重ね着した上着とスパッツの上から、ブルーのレオタードを着る。よもぎの葉でゴーグルを磨き、くもり止めをする。

八幡浦の海女は、ウェットスーツを着ずにレオタードを着る。5月の海はまだ冷たい。あえてうにを獲りすぎないよう、寒さをほとんど防がないレオタードを着ることで、活動時間を制限しているのだ。
 
かつてはレオタードですらなく、上半身裸で潜っていたそうだ。こうやって、乱獲を防ぎ、八幡浦の海女たちは自らの漁場を守ってきた。限定された海域でうに漁を行っていくことに対する知恵でもある。結果として、それが資源の保全につながってきたことを、皆肌で感じているのだ。

うに漁の定刻になると、よし子さんは大きな桶と自らの体をロープで結び、こちらに笑顔を見せながら静かに海に滑り込んだ。

水深は3mほど。海士とは違い、浅い場所で、おもりをつけずに潜る。黙々と、淡々と潜り続ける。1回に潜る時間は1分弱。時折、潮風の中に「ふゅーっ」というような、よし子さんの吐く息の音が混じる。ご主人は双眼鏡で覗きながら、黙ってそれを見守る。

2時間ほど潜り続けると、桶はうにでいっぱいになった。よし子さんは初めて船の上へ。船首ではご主人が起こした薪の火がパチパチと燃えており、着替えたよし子さんが冷えた体をこすりながら暖をとっている。

体を温めるために陸に上がる時間も惜しいのだろう。実際、この後いったん漁港へ戻って私たちと獲れたうにを下ろした船は、また午後のうに漁に向けて一目散に漁場へと戻って行った。
 
よし子さんのうに漁の腕前は有名で、その根性とねばり強さは海女の間でもよく知られている。「負けず嫌いなだけですよ」とはにかむが、海女を生業としていることへの誇りと信念を感じずにいられない。

“うに”を壱岐の名物として
存続させるための島民の思い

しかし、よし子さんに驚かされたのはこれだけではなかった。

午後の潜りが終わった後は、「殻割り」の作業が待っていた。水揚げしたうにの殻を割り、中身をスプーンでかき出す作業だ。これも地道で根気のいる仕事。1つのうにから取れる身はほんのわずかだ。

水揚げしたうには、飲食店や加工店に海女が直接持ち込むケースも多い。ここで壱岐名物の「生うに丼」になったり「うにめし」になったりする。また、加工され瓶詰めされたものは、お土産店などに並ぶ。

しかし、ムラサキウニの漁期は5月のみ。生うにを食べられるのはこの期間だけである。しかし、それではうにを楽しみに壱岐を訪れた人に残念な思いをさせてしまうと、5月中に1年分のうにを仕入れて提供している店もある。

八幡浦に店を構える「うにめし食堂 はらほげ」の店長・西田千代子(にしだ ちよこ)さんはこう熱く語る。

西田「八幡の海女さんから直接うにを仕入れて、1年を通じて生うに丼をご提供できるようにしています。でも、本当は5月に来てほしいです。5月の本当の壱岐のうにのおいしさを感じてもらいたいです」

また、壱岐在住の文筆家・小坂章子(こさか あきこ)さんの実家「小坂うに店」でもうにの加工を行っており、八幡浦の海女たちから獲れたばかりのうにが持ち込まれている。

「小坂うに店」では海女が持ち込んだうにを海水にさらし、竹ざると竹ばしで、消化管や殻などの異物を丹念に取り除いていく。実際に現場を見学させてもらったが、これも気の遠くなるような細かい作業だ。塩を振り水切りをする。それを瓶詰めしてそのまま急速冷凍。アルコールもミョウバンも使わない方法で、年間を通じて壱岐のうにを提供している。

地球環境の変化による漁獲量減少に直面しながらも、自然と共存しながら漁を続ける術を知る海女・海士がいる。また、伝統的な壱岐の味覚を守ろうと、努力し、工夫し、伝承を試みる人たちがいる。壱岐における最初の探検の成果は、「壱岐のうにを、決して幻にしない」という思いを持った人たちとの出会いだった。
 
さて、次回は壱岐のソウルフードともいえる「壱州豆腐」にスポットを当てる。普通の豆腐と何が違うのか、なぜ島の人たちは固くて重い豆腐を愛するのか。その謎に迫ることにしよう。