EPISODE 5
ぶりの産地ならではの伝統食!その名は鮮度が命の“ぶりわた汁”
胃にとろとろと落ちていく美味
五臓六腑に染み渡る“ぶりわた汁”
壱岐を探検するにあたって、事前に島の人々から話を聞く機会を設けた。その際、壱岐在住の文筆家・小坂章子(こさか あきこ)さんから教えてもらった料理の一つに“ぶりわた汁”があった。ぶりわた汁とは、簡単にいうとぶりの腹わた(内臓)を具にした味噌汁だという。


小坂さんの知人が作ってくれたぶりわた汁を実際に食べてみると、これが驚くほど美味だった。熱を加えられたわたが溶けていて、見た目はお世辞にも美しいとは言えない。しかし、口にすると具のおからや味噌と渾然一体となって胃にとろとろと落ちていく。五臓六腑に染み渡る味とはまさにこのことだ、とうっとりした。
なぜこれほどまで美味なるものが壱岐以外の地域では食されていないのだろうか…。壱岐からほど近い福岡や、ぶりの養殖と漁獲が盛んな宮崎でも、ぶりわた汁が食べられているのは見たことも聞いたこともない。
小坂さんは「壱岐のスーパーや直売所では、ぶりわたが1パック100円台で売られている」とも話していたので、早速スーパーに調査に来てみたら…ぶりわたは切り身と並んで当たり前のように売られていた。これは一体どこの部位で、どうやって調理すればぶりわた汁となるのだろう。

ぶりわた汁についてますます興味を持った私たちは、このぶりわたの出荷者であり、漁師歴約50年という大ベテランの永村義美(ながむら よしみ)さんを訪ねることにした。
12月はじめの朝5時30分、まだ暗がりにどっぷりと包まれた郷ノ浦港の競り市で永村さんを待っていると、軽トラックが続々と入ってきた。荷台から下ろされるトロ箱(魚を入れる発泡スチロール)からは、大きい尾びれがはみ出て見える。あれはぶりだろうか。確かめようと目を凝らしていると、暗闇からぬっと永村さんが現れた。笑うときゅっと小さくなる黒目がちな瞳がキュートな、恰幅(かっぷく)の良い男性だ。


永村さんは島の南西部にある郷ノ浦で生まれ育ち、中学を卒業後に海の世界へ。 若い頃はイカを追って石川や熊本などへ漁に出ていたそうだが、イカの減少にともない20年ほど前からは壱岐近海で延縄(はえなわ)漁でタイやマグロ、ぶりを獲っている。また、壱岐の水産資源のおいしさを広めたいとの思いから、食堂や商店の経営、水産加工業なども展開しているやり手社長でもある。


私たちは永村さんの案内で競りの様子を見学させてもらった。アオリイカ、クチビ、サワラ、カマス、アカバナ…。トロ箱を指しながら魚種を教えてくれる永村さんの足が止まった先には、丸々と肥えたぶりがあった。だが、永村さんは「まだ小さい」とつぶやく。いわゆる“寒ぶり”と呼ばれる脂が乗り切った10kg以上のものは、クリスマスを過ぎてからでないと揚がってこないらしい。


壱岐では年末に、お嫁さんの実家に感謝を込めてぶりを贈る“嫁御ぶり”という習わしがあり、“寒ぶり”でないと失礼にあたる。だから年末までには脂が乗っていないと困るのだ。この日、永村さんはイカやノウソ(シロザメ)、ぶりなどを競り落とした。



漁師のぶりわた汁はひと味違う?
細やかで入念な下処理が味の要
永村さんにぶりの解体を見せてもらう。ぶりの身やカマの味がいいのは周知の通りだが、「そのほかの部位も旨い。ぶりは捨てるところがほとんどない」と永村さんは言う。ザクッ、ゴリッと響く包丁の音とともに、ぶりは次々と部位ごとに分けられていく。エラは血をよく洗い落としてしゃぶしゃぶに、卵巣は煮付けやカラスミに使う。腹からはぷりぷりとした腸やふかふかの肝が出てきた。



ぶりわた汁には肝臓と心臓、腸、卵巣を入れる。捌いた直後の内臓ではなく、内臓の中身まで取り除き、水を替えながら3日かけて全体が白っぽくなるまで血抜きしたものを使う。さらに、血抜きした内臓をさらに熱湯にくぐらせる。このように、内臓の中身を丁寧に取り除き、しっかり血を抜き、汚れを取り除くことで、生臭みのないぶりわた汁ができる。


漁師料理といえば豪快さが持ち味だと思い込んでいたが、ぶりわた汁に関しては細やかで入念な下処理が味の決め手のようだ。永村さんが作ってくれたぶりわた汁は、最初に食べたものとはまた違う。材料はぶりの内臓、味噌、小ねぎのみ。ぶりから旨味が出るため、だしは必要なく、味噌は米と麦の2種類を使う。
汁はぶりの脂が溶け込んでコクがあるもののすっきりとしていて、内臓が汁と同化しておらず肝臓や卵などそれぞれの食感や味の違いがよく分かる。ごくり、ごくりとゆっくり味わうというよりは、白飯と一緒にコクコクと飲みたくなる軽やかさがある。

ぶりの産卵は1月頃から始まり、海水温の上昇とともに産卵場は北上していく。ふ化した仔魚(しぎょ)は生後2~3週間で稚魚(ちぎょ)となり、春先に薩南海域に出現して九州西岸から日本海の五島列島付近、太平洋の日向灘、熊野灘、隠岐周辺海域へと分布域が移り、それぞれの海域で成長する。そして秋から冬にかけて成魚となって南下を始める。

永村「寒ぶりで抜群の知名度があるのは富山の氷見。脂が乗りまくっていて旨いですよ。でも、九州の人は、九州沖に南下して脂が少々抜けたくらいの年末頃のぶりを好むようです。それでも内臓までびっしりと脂がついている。この時季のぶりわた汁も、これまた旨いですね。」
話を聞いているだけでお腹からグゥーっと音が鳴りそうだ。
“秋には沖にぶりがわく”
内臓まで料理に使う理由とは
さて、壱岐と玄界灘を挟む長崎県・平戸には「秋には沖にぶりがわく」との古い漁師の言葉が残っている。そのくらいたくさんのぶりが泳いでおり、漁獲量も豊富だったということだろう。ただし、たくさん獲れるからといってぶりが壱岐の家庭の食卓によく登場するかというと、そうではないらしい。魚はあくまで売り物であり、日常的に食べるのはイワシや雑魚などの傷みやすい魚種が中心だったようだ。

日本人にとってぶりは“めでたい魚”の一つである。ワカナゴ、ヤズ、ハマチ、ぶりと成長段階によって呼び名(地域により異なる/前記は九州版)が変わる出世魚だから、縁起がよいと考えられているのだ。また、「東のサケ、西のぶり」という言葉があるように、特に西日本ではぶりは正月の食卓に欠かせない食材である。この場合の東西の境目は長野県あたりとされており、石川県の加賀藩では前田利家の時代からお歳暮にぶりを贈る習慣があったという。

小坂さんは「壱岐では、家を建てる時のお祝いの場に上がる魚がぶりなんです」と言っていた。「ぶりは安い魚ではないため、身の部分を食べるのは壱岐の人たちにとってもちょっと特別で、贅沢なこと。だから内臓まで余すことなく料理に使う文化があるのかも」と。永村さんも「内臓も食べられるのだから、捨てるのはもったいない」と話していた。
ところが、壱州豆腐作りでお世話になった「壱岐地区生活研究グループ連絡会」の会員である松熊節子(まつくま せつこ)さん、山口繁子(やまぐち しげこ)さん、入江久子(いりえ ひさこ) さんは「わたを食べる理由は、おいしいから!」と口をそろえて言う。3人とも壱岐生まれ、壱岐育ち。何か尋ねると一斉に口を開く賑やかな友人同士だ。

新鮮なぶりわたは一塊の臓器
元気になる気がする滋味の正体
松熊さんは仕出し屋で10年調理の腕を奮った料理上手。ぶりを捌くのもお手のものだと聞き、松熊さん流のぶりわた汁を食べさせてほしいとお願いしていたのだ。この日、松熊さんが用意してくれていたぶりは約7kg。「今年のぶりはなかなか大きくならんねえ」とおしゃべりしながら、松熊さんは慣れた手つきで包丁を動かしていく。


永村さんのぶりわた汁との決定的な違いは内臓の処理。松熊さんはその日水揚げされたぶりの内臓をそのまま使う。内臓の内容物を取り除いたり、熱湯で霜降りをしたりといったところは同じだが、何日も水に浸けて血抜きすることはしない。その理由を「新鮮だから必要ない」と言う。



材料もぶりの内臓、壱州味噌(米味噌)、小ねぎに加え、壱州豆腐、おからとやや具だくさんだ。内臓は胃袋、心臓、腸、肝臓を使う。家庭では大根など、その時々に台所にある野菜を入れたりもするらしい。3人の会話にふんふんと頷いているうちに、テーブルにはぶり料理がずらりと並んだ。



完成したぶりわた汁は、最初に食べたものとも、永村さんのものとも違っていた。松熊さんのぶりわた汁は部位ごとの味の違いはほとんど感じず、すべてが同化したようなまったりとした味わいだ。それもそのはず、内臓はついさっきまで一塊の臓器としてぶりの体内に存在していたのだ。血抜きしたぶりわたと、捌いてすぐのぶりわた、どちらも異なる滋味がある。作る人によってこうも味が変わるものなのかと、郷土料理の奥深さを知る。

ところで、栄養学の専門家である中村学園大学の太田英明(おおた ひであき) 名誉教授に教えてもらったところによると、ぶりわた汁は「栄養素の効率的な摂取としてふさわしい食べ方」とのことだ。味噌汁は煮汁ごと食べる料理だから、ぶりの内臓から溶け出した水溶性のビタミンB群やミネラル、EPA・DHA(脂溶性だが煮汁にも移行)、それからアミノ酸やイノシン酸などの旨味成分まで無駄なく摂取できる。さらに、味噌は大豆を原料とした発酵食品。大豆由来のタンパク質、ビタミン、ミネラル、食物繊維、イソフラボンなども含まれる。ぶりの栄養と味噌の栄養が組み合わさることでより栄養価の高い料理となる、という見解だ。
確かにこの数日、ぶりわた汁を食べているせいか疲れを感じにくいような…。ふと目の前の 3人組を見ると途切れることなく話が弾んでいて、80代目前とは思えぬパワフルさ。なるほど、これもぶりわた汁の力なのかもしれない。

壱岐で確かめたかったもう一つのテーマが鯨である。次回は、壱岐における捕鯨の歴史と鯨料理にスポットを当てて島を巡ってみよう。
(参考文献)
月川雅夫「日本の食生活全集42 聞き書 長崎の食事」1985,農山漁村文化協会
加藤秀俊ほか「人づくり風土記 42」1989,農山漁村文化協会
野﨑洋光・成瀬宇平「47都道府県・汁物百科」2015,丸善出版
虫明敬一「ブリ類の科学」2019,朝倉書店
藤井弘章「日本の食文化4 魚と肉」2019,吉川弘文館
「特別展 和食~日本の自然、人々の知恵~公式ガイドブック」2023,朝日新聞社

