「九州の味とともに」
守り伝えられてきた九州の郷土料理


シャリの上にも下にも
ネタがある
野菜の彩りが美しい
握り寿司
茶台寿司
一見すると握り寿司のようだが、シャリの下にも寿司ネタがある。お殿様が使う上等な茶台に見立てて『茶台寿司』と呼ばれるようになったという説が一般的だが、農家の縁台で食べていたから『茶台寿司』という説もある。臼杵では古くから伝わる、もてなし料理だ。
ネタはシイタケ、レンコン、絹さや、タケノコなど野菜が中心。魚介は、臼杵でよく獲れる『ゼンゴアジ』を開いて、酢で締めたものが使われることが多い。シャリを握って上下にネタを付け、大皿に並べていく。様々な組み合わせと彩りが華やかだ。ネタそれぞれに味付けされているので、そのまま食べても美味しい。昔の『茶台寿司』は、今の握り寿司の3倍ほどの量のシャリが使われ、かなり大きいものだったということだ。
江戸時代の『天保の大飢饉』の後、倹約令が出され、臼杵藩でも徹底的な倹約が行なわれた。『茶台寿司』は、決して高級ではない素材を使いながら、豪華に見せるという工夫がなされている料理。このことから『茶台寿司』は、倹約しながら暮らす、臼杵の庶民たちから始まった料理だと考えられている。
特に、春によく作られていたという『茶台寿司』。臼杵出身の作家・野上弥生子さんも春になると、よく作っていたようで、随筆にもその話がしたためられている。
臼杵の倹約令
江戸時代の天保4年(1833年)から6年間続いたと言われる飢饉は、『天保の大飢饉』と呼ばれる。 この後、幕府から倹約令が出された。各藩独自の倹約令もあり、臼杵でも厳しい倹約が行なわれるようになった。服装、家の作り、日々の食事に関するものから、冠婚葬祭における食事の内容など、衣食住の細かな部分まで決められていた。厳しい暮らしの中でも様々な工夫がなされ、臼杵独特の郷土料理も生まれたのである。
ゼンゴアジ
小型のマアジのことで、春になると臼杵でよく獲れる魚。