九州の食探求メディアKyushu Food Discovery Media

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LOCAL FOOD CONTENTS

「九州の味とともに」

守り伝えられてきた九州の郷土料理

夏の味

南関揚巻寿司

油揚げとは
似て非なる揚げを
海苔の代わりに使う
巻き寿司

南関揚巻寿司

四国地方から伝わったと言われ、熊本県南関地方で作り続けられている『南関揚げ』。薄く切った豆腐を揚げるという意味では、よく知られている油揚げに似ているが、豆腐の水分を切ってしっかり揚げるため、ほとんど水分を持たない。カリカリサクサクで、冷暗所で保存すれば、常温で長期間保存することができる。南関では味噌汁の具材として欠かせない食材。この南関揚げを海苔の代わりに使った巻き寿司が『南関揚巻寿司』だ。

サクサクの南関揚げを油抜きし、出汁、醤油、砂糖などを使った煮汁でじっくりと煮込む。ほどよく味が染み込んだ南関揚げを軽くしぼり、巻きすの上に敷く。そこにすし飯を均等にのせ、具材を並べて巻く。具材は、作り手によって様々だが、厚焼き卵、甘辛く煮た椎茸、桜でんぶなど。夏はキュウリ、冬はホウレンソウなどもよく使われる。海苔と違って南関揚げにはすし飯がくっつきにくいので、きれいに巻くためには、しっかりと巻くことと、巻き終わりの力の入れ方にコツが必要。少し歯応えがあり、しっとりもっちりとした南関揚げの食感は、海苔とはまたひと味違う美味しさだ。

『南関揚巻寿司』がいつ生まれたかは定かではないが、南関揚げは江戸時代には作られていたとのこと。この地の先人たちが身近にある素材で作り始めたことは想像に難しくない。

南関揚げと島原の乱

南関揚げの歴史については、愛媛の松山から伝わって来たという説が有力なのだそう。愛媛には『松山揚げ』という南関揚げに似たものが今も存在している。 では、なぜ松山のものが南関に伝わったのか?そこには『島原の乱』の影響もあったようだ。島原の乱で人口がかなり減ってしまった島原半島に、幕府の命で四国から多くの人々が移住させられた。南関はその人々の通り道だったため、松山の揚げの技が南関にも根付いたと考えられるのだ。 ちなみに、小豆島で早くから作られていた“そうめん”も同じように伝わり、『南関そうめん』として特産品となっている。また、島原でも“島原そうめん”は特産品だ。