九州の食探求メディアKyushu Food Discovery Media

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「九州の食ふしぎ探検記」

九州の食にまつわる驚きや発見を深掘り

特集テーマ

「国境の島」壱岐で歴史と風土が育んだ“幻の食”を追え!

EPISODE 4


麦×米×水×大陸文化=壱岐焼酎 島には壱岐焼酎での乾杯条例も!?

古代神道発祥の地に蒸留技術が伝来
神に供えた“どぶろく”が麦焼酎に?

福岡の博多港から壱岐へと向かう船に乗っていると、船内のテレビから韓国語のニュースが流れることがある。壱岐から韓国までは直線距離で約150kmと近い。弥生時代には、対馬とともに、アジアと日本をつなぐ交易地点として栄えていた。南北約17km、東西約15kmのこの島は、長崎県で2番目に大きい平野である深江田原(ふかえたばる)を有し、穀倉地帯を形成している。

島であるから当然四方を海に囲まれており、対馬暖流の影響を受ける気候は年間を通して温暖。また、離島にしては珍しく地下水が豊富で、米も麦も多く穫れる。そんな豊かな島である壱岐は、麦焼酎発祥の地としても知られている。今回はこの島で、麦焼酎が造られるようになるまでにどのような経緯を辿ったのかを紐解いていこう。

「壱岐市立一支国(いきこく)博物館」の副館長・河合恭典(かわい きょうすけ)さんは、「弥生時代の日本人は、自然発酵の果実酒や人の唾液を混ぜて米を発酵させた口噛み酒(くちかみざけ) のようなものを飲んでいた可能性が推測されます」と話す。いわゆる“どぶろく”のようなものだ。続けて「大陸からの文化伝来があった壱岐では米やその活用法も早くに伝わっていたのではないでしょうか」と推察する。

河合「壱岐では古くから占いの一種である太占(ふとまに)が盛んで、平安京で壱岐の巫女たちが活躍していたという記録も残っているほどです。神事において酒は必需品ですから、どぶろくや日本酒造りも昔から盛んだったのでしょうね。そしてその歴史的背景が、壱岐の麦焼酎につながっていったのではないでしょうか」

壱岐の焼酎蔵「壱岐の華」の代表取締役であり、壱岐酒造協同組合の代表理事でもある長田浩義(ながた ひろよし)さんもこう話す。

長田「この島は古代神道発祥の地といわれ、150以上の神社が点在します。蒸留技術が伝来したとされる16世紀、壱岐では神事に供える御神酒(おみき)をはじめ、どぶろくを造るようになっていたようです。そこに大陸から伝わった蒸留技術が結びついて麦焼酎が誕生したというのが通説です。どぶろくは腐敗しやすいので、日持ちする蒸留酒を造るための技術はありがたがられたことでしょう」

麦で焼酎を造った理由は年貢?
江戸時代から変わらない黄金比は2:1

九州への蒸留技術の伝来ルートには、現在有力視されている二つの説がある。タイから琉球、薩摩へと渡った南方ルート説と、アラビアから中国、朝鮮、壱岐に渡った北方ルート説だ。いずれも史料が残っていないためあくまでも説ではあるが、北方ルートに関しては、1404年に朝鮮の国王・太宗が対馬の領主・宗貞茂に朝鮮の蒸留酒(焼酎)を贈った記録がある。長田さんは「対馬は農地が少なく、米や麦が豊富ではなかったため本格的な焼酎製造には至らず、壱岐に技術が伝わったのでは」と考える。

では、米も麦も豊富だったはずの壱岐で、米焼酎ではなく麦焼酎造りが盛んとなったのはなぜだろうか。

長田「壱岐は平戸藩の領地であり、年貢米を厳しく徴収されていたため、島民の主食は裏作として栽培していた麦でした。そのため、どぶろくに蒸留技術が結びついて麦焼酎が生まれたと考えるのが自然ではないでしょうか」

長田さんによると、江戸時代には壱岐に焼酎蔵が48軒あったという。その後、明治時代に酒税法が整備され、酒造りは完全な免許制に。「1902年の記録によると壱岐で製造免許を取得した蔵は焼酎38軒、清酒17軒 だった。」戦前には、焼酎8軒、清酒10軒となり、そして1949年に壱岐酒造協同組合が結成され、時代の推移と共に業界にも変化が生じ、現在、焼酎蔵については、兼業も含め、7つの蔵元となっている。

ここで壱岐の麦焼酎について整理しておきたい。
「玄海酒造」と「山の守(やまのもり)酒造場」の2つの蔵の常務取締役である山内良二(やまうち りょうじ)さんは「壱岐焼酎は、米麹を使うところに大きな特徴があります」と話す。

山内「全国的に知名度の高い大分県をはじめ、ほとんどの麦焼酎は麦と麦麹で仕込みます。なぜ壱岐で麦麹ではなく米麹を使い始めたのか、その理由は分かっていません」

壱岐の麦焼酎は大麦2、米麹1の割合で仕込む。これは江戸時代から変わらない“黄金比”で、現存する7蔵ともこの比率を守っている。壱岐で最も古い「山の守酒造場」でも、100年以上変わっていない。米由来の上品で厚みのある甘みと、麦の香ばしさの組み合わせが壱岐の麦焼酎の特徴である。

1995年には「壱岐焼酎」としてWTO(世界貿易機関)が認定したGI(地理的表示)指定を受けている。「壱岐焼酎」を名乗るには、黄金比を遵守していることに加え、仕込みから瓶詰めまでの全工程を壱岐で行っていること、水は壱岐市内で採取したものを使うことが条件である。壱岐焼酎はイギリスのスコットランド地方で造られたスコッチウイスキーやフランスのボルドー地区で造られるボルドーワインと同じように、世界に産地指定酒と認められている。

なぜ日本酒蔵が消えて
焼酎蔵は残ったのか…?

実は、壱岐での日本酒造りは1990年に一度途絶え、その後、2018年に復活を遂げている。なぜ日本酒造りが途絶えたのか、また復活までの道のりについて話を伺うため、壱岐7蔵の一つである「重家(おもや)酒造」を訪ねた。

代表取締役社長である横山太三(よこやま たいぞう)さんによると、「重家酒造」は1924年に日本酒と焼酎の両方を造る蔵として創業。当時は、春~秋は焼酎、冬に日本酒を仕込み兼業していたが、1990年、横山さんの父の代に日本酒造りを一旦終えている。売上の低迷や杜氏の高齢化が理由だった。

一度途絶えた日本酒造りを始めるにあたって、横山さんが特にこだわったのが水質だ。壱岐は島の大部分が溶岩からなる玄武(げんぶ)岩に覆われており、雨水が岩層で濾過されて地下水となる。

横山「壱岐の水脈の多くはミネラル分が豊富です。壱岐焼酎は仕込み水や割水に壱岐の地下水を使うことが特徴にもなっていますが、私が目指す日本酒の醸造には向きませんでした」

日本酒造りでは、使用する水に含まれるミネラル分である鉄やマンガンが、仕上がりの色や香り、味に影響を及ぼしてしまうのだ。横山さんは理想とする軟水の水源を見つけるまでに、島内を5年かけて20カ所以上調査したという。

横山「壱岐には日本酒造りに適する良質な水脈がなかなかなかった。それに、壱岐では昔、物資輸送の利便性から多くの日本酒蔵が海沿いにありました。利便性を重視したため日本酒には向かない水を使わざるを得ず、島内で消費される分だけしか造れなかったのかもしれません」

横山「当時の等級制度でいう“上等(現在の上撰(重家酒造の基準))”の日本酒が、県外から入ってくるようになって、徐々に壱岐の日本酒は飲まれなくなり、日本酒蔵が消えてしまったんでしょう」

一方で、壱岐焼酎が残ったのは、水質をも個性にできる蒸留酒だったからなのだろう。

壱岐焼酎での乾杯は条例!?
7蔵ブレンドの焼酎も誕生

壱岐には“壱岐焼酎で乾杯”条例がある。2013年9月に制定された壱岐焼酎による乾杯を推進する条例で、目的は「麦焼酎発祥の地である壱岐市の特産品で、伝統産業でもあり、世界貿易機関の地理的表示の産地指定によって国際的にも認められた壱岐焼酎による乾杯の習慣を広めることにより、壱岐焼酎の消費拡大及び普及並びに焼酎文化への理解の促進に寄与することを目的とする」とある。

壱岐市役所の安永多十(やすなが たじゅう)さんは「平たくいうと、壱岐焼酎をもっと飲みましょうとPRするための条例です」と教えてくれた。

安永「壱岐市に関連する宴会や市職員の結婚式などではずいぶん浸透していると感じますが、今後は島外での周知にも力を入れていきたいですね。条例といっても罰則はありませんので、壱岐に来たなら壱岐焼酎で乾杯しようかと、楽しく考えていただけたら幸いです」

条例制定を機に生まれた焼酎もある。壱岐焼酎7蔵の焼酎をブレンドした、その名も「壱岐焼酎で乾杯 壱岐七蔵ブレンド酒」だ。アルコール度数が15度になるように調整してあるため、ストレートで飲みやすく、乾杯にぴったりの軽い味わい。島内の飲食店では乾杯用の小さなオリジナルグラスを用意している店もある。

ライバルである蔵同士が協力し合って一つの酒を造るなんて…! これも島文化の象徴かもしれない。

そんな話を聞いた日の夜、編集部が訪ねた居酒屋には例のオリジナルグラスがそろえてあった。壱州豆腐や刺身など、壱岐ならではの酒の友も並んでいる。なんだかうれしくなって周囲を見渡すと、皆オリジナルグラスを眺めてにこにこしている。

400年前にこの島で生まれ、今に伝わる壱岐焼酎。それを壱岐ならではの食事といただけるなんて、やっぱりここは豊かな島だ。今夜が和やかで、楽しく更けていく確信を胸に、私たちは声を合わせてグラスを合わせたのだった。

「壱岐焼酎で乾杯!」

すっかりファンになってしまった壱岐焼酎をよりおいしく味わうために、酒の友についても深掘りしたい。壱岐在住の文筆家である小坂章子(こさか あきこ)さんがおすすめしてくれた「ぶりわた汁」を次のターゲットに、島の探検を続けよう。


(参考文献)
月川雅夫「日本の食生活全集42 聞き書 長崎の食事」1985,社団法人農山漁村文化協会
山内賢明「壱岐焼酎」2007,長崎新聞
鮫島吉廣「焼酎の履歴書」2020,イカロス出版
小林恒夫「九州の酒造業と杜氏集団」2023,農林統計出版
「特別展 和食~日本の自然、人々の知恵~公式ガイドブック」2023,朝日新聞社
奥田教広「戦前自由時代最後の市販酒」 日本釀造協會雜誌 1977年72巻7号 p. 489-494